耕稼春秋などに学ぶ米作り

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  稲の生育も順調に進み生育も旺盛になってきた。この時期の作業に中干しと言う作業があります。田の水を完全に抜く作業です。このときにみぞきり作業(ネキカキという)をします。
 現在は、田のガスを抜き根の張りを良くする、有機体窒素の無機化を図り、過剰分けつ(茎数が必要以上にふえること)を防ぐ、などの目的で行います。
 江戸時代はこの時に油粕や漁粕を入れました。そのことにより、終了は5割の増収になったそうです。ただ、肥料が多くかかり、農家に余裕がなくなったため、ほんの一部の農家だけが行っていました。
 ただ、中干しをする事により、跡作として麦を播くのに都合が良く跡作田で実施されていました。今は、秋のコンバインがぬかるまないということで、中干しをする人がいます。いまも昔も作業性優先ですかね?
 写真は、昨年のみぞきりの様子です。

 稲作で一番大変な作業に水管理があります。水回りと言って毎日欠かさずすべての圃場を回ります。私の場合、朝は日の出前に出ます。この時期だと朝4時過ぎです。曇りや雨の日は、暗いので若干遅く出ます。

 田植え後の稲は、小さく、水に沈んだり、寒さや風で傷んだりするので、12週間は特に、気を使います。田植え後の水加減は、苗の活着(根づくこと)や生育のうえにきわめて重要です。水が、少ないとすぐに草が生えてきます。(水の少ないところや田面が露出しているところは、除草剤の効きが悪くなります。)
 また、土質によっても水加減が違います。湿田のように水持ちの良いところは、浅水に、砂地(砂壌土)に近いところは、深水にします。
 水加減は、温度(水温、地温)にも影響します。簡単なようで、難しい、技術のいる手間暇のかかる作業です。水を制する者、稲をも制すと言っても過言ではないと思います。

 

 大唐 大唐稲(太唐稲) 初めて聞く稲である。インド型の稲で、粒が細く長く、飯にして粘りが少なくまずいが、どのようなところでも良くできるし、早生なので、百姓の端境期の食糧として作られた、とある。

 おそらく、今で言うところのインディカ米ではないかと思われる。いまから300年前に、この加賀平野でインディカ米が栽培されていたとは、びっくり。

それも、端境期のお米として。いつまで、栽培されていたのだろうか?

 その後、育種の進歩でインディカ米はほとんど栽培されなくなり、日本人の嗜好にあったお米に品種改良されてきた。特に、粘りのあるお米を好む日本人(特に北陸人に多い)にとって、コシヒカリは最高のお米である。コシヒカリも、最初の頃は、倒伏し易く、栽培しにくい品種であったが、栽培技術の進歩で、多収穫でおいしいお米として、生産者、実需者からも喜ばれるお米になった。そして、誕生から半世紀以上(1956年から)も栽培されている。

  耕稼春秋(土屋又三郎)との出会いは今年のお正月だった。県内の農書では、農事遺書(鹿野小四郎)などがある。耕稼春秋を勧めて頂いたのは、現鳥取大学副学長の小林教授からでした。小林教授は農業情報の大家で、以前石川県農業試験場経営科に勤務されていた頃に、ご指導を仰ぎました。いまは、農地地図や栽培履歴のソフトを研究され、弊社の栽培履歴管理に役立っています。その小林先生が過去に読まれた話をされ、「ぜひ読んでみては。」と勧められネットで本を買いました。

 最初に、現代語版農業図絵(古本屋から)、耕稼春秋(現代語と対比されているため読みやすい  農文協)、昭和耕稼春秋前巻(古本屋から 松原一秀著)を買い、読みました。久しぶりに、感激!しました。こんな時代だからこそ、原点に返ってみる必要があるのではないかと思いました。温故知新

 今回、このブログには、耕稼春秋を読んで、今、当時について、思ったことや感じたことを書いていきたいと思います。

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